第2回 交通、道路
大正4年当時は浦賀は「浦賀町」でした。鉄道は「横須賀駅」まで通じていましたので、陸上交通の説明が横須賀起点になっています。その一方で海上交通については、直接浦賀町から各方面に定期便が出ていて、対照的な様相を示しています。現在でも久里浜港は千葉県方面に向かうカー・フェリーの出ているところとして重要な位置を占めています。乗合馬車は今のバスに相当するものでしょう。記事からは人力車が今のタクシーの役割を担っていたことが伺えます。また「自働車」とあるのは「乗合自働車」でバスのことです。バスは横須賀駅と浦賀町を結ぶ路線だけがあったようです。 (写真はクリックすると拡大します。)
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