フィレンツェ滞在記

Gakumachi_3

2003年
4月2日~6月29日
フィレンツェ滞在

4月のはじめにフィレンツェに着いた。風が強くて寒かった。ドゥオーモでも人気がなくて寒く、早々に外に出るありさまだった。高台のミケランジェロ広場から田園風景をスケッチしたが、風で道具が飛ばされるので困った。初めはテレビでボローニャの大雪のニュースなどをみていたが、4月も中旬に入ると急に暖かくなった。

美術史には明るくないが、妻に引っ張られて町中の主な美術館でルネッサンス絵画などを徹底的にみてまわる毎日が始まった。合間にスケッチを描き溜めようと努めたが結局10枚しかできなかった。ほかにラファエロの「小椅子の聖母」を模写した。

リラからエウロ(euroのイタリア読み)に替わって物価が上がったのに加えて、滞在中にエウロが高くなって割高感が増した。モッツァレッラチーズやルコラが安いので、トマトを加えてオリーブ油とバルサミコ酢で食べるのが日課になった。無塩のパンにも慣れた。開封後の牛乳の日持ちが悪くて、うっかり飲んで体をこわした。5月中はその後遺症で弱りこんでいた。

それでもルッカ、ピサ、シエナへは日帰りで、またローマやクレモナへはそれぞれ2泊の小旅行をした。クレモナへ行く途中にミラノに寄って、修復のおわったレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を観た。

梅雨がないので夏がひと月早く来る感じで、6月の後半は連日真夏の暑さに見舞われた。アパートにエアコンはないが明け方には涼しくなるので、石の壁の冷気を逃がさないように、また鎧戸やカーテンで日差しを遮るように努めて何とか凌いだ。午後は夕方まで出来るだけ外出を避ける生活で、すっかり夜行性になってしまった。

フィレンツェの5月音楽祭(5月の初めから7月の初めまで)では、Teatro Comunaleでズービン・メータ指揮の「オテロ」を観た。新しい演出だが違和感のない舞台だった。ズービン・メータの小気味良い指揮棒から強い悲劇的な効果が生み出されていた。2階(正確にはヨーロッパ式のSECONDO PIANOだが実質的には日本のホールの2階と似た感じの位置。)の最後部中央だったが、ちょうど音響レンズの焦点に当っていたとみえて、艶とエネルギー感に満ちた良い響きで歌詞も大変明瞭に聞こえ、袖の合唱やオーケストラ・ボックスのハープなども目の前にあるように感じられた。

クレモナでは、ふらっと立ち寄った工房で日本人の職人さんに出会った。クレモナ暮らしは快適とのことだった。べつの工房では3日前に完成したばかりの楽器を弾かせてもらった。その人はアルプスのスプルースの割り材でWedge(??)を作って使っているのが売りのようだ。大変な不定形の割り材で板取や剥ぎ合わせも難しそうだが、こだわりの一つだろう。そのせいかどうか、すっきりと軽やかな響きで使いやすそうだった。価格の話もしたが差し障るので書かない。

ミラノのスカラ座は改修工事の真っ最中だが、外壁一枚を残して完全に解体する大工事現場は、石造りの建物に不案内の私には奇跡のようにみえた。石造りの建物で埋め尽くされた古い街で暮らすうちに、木造や鉄筋コンクリートばかり見慣れた眼には、異文化の底知れぬ圧力が次第に耐えがたく感じられるようになってきた。ビザなしは90日が制限一杯だが89日で離れるころには正直ほっとした気分になった。

滞在中に妻のお友達や娘の滞米中の友人夫妻、それに親戚などの訪問をうけ、ささやかなFesta(パーティー)なども楽しんだ。留守中はご近所の方々や交番のお巡りさんにお世話になり、また掛かりつけのドクターには電話で相談させていただいた。多くの方々に支えられて何とか夢を果たした旅だった。


付録:

治安; 概して治安は良い。スリの多いところはSMN駅の周り、サン・マルコ広場周辺、サンタ・クローチェ広場周辺。サント・スピリト広場には夜間に「薬」の売人がいるとのこと。中心部の高級ホテルの辺りで日本の紳士が偽警官に金をとられたという話をきいた。手口はまず一人が「薬」を売りつける様子で近づき話しかけ、次に私服警官のような男が二人現れ、売人風情が逃げたあと紳士に警察手帳らしきもの示して、尋問したり所持品検査をしている間に現金を抜き取るというもの。

水について; フィレンツェの水道水は石鹸は泡立つが沸かすと水垢が薬缶に付く。生では飲まないほうが良いと思う。従って常に水の買い置きを忘れないことが肝心。外で食事するときにも水を注文する習慣がついた。

日常の買い物; 中央市場およびSTANDA、Esselunga、Pegna(いずれもスーパー)と、サント・スピリト広場の露天市、それに近所のパン屋で済ました。食材は日本よりは季節感が強く、時期を過ぎると買えなくなる物が比較的多いので、見つけたときに買うほうがよい。日本式の米や豆腐などはサン・ロレンツォ教会近くのGiglio通りにあるVIVIというアジア食材店で買える。

乗り物; バスは便利。路線図はインフォーメーションでもらう。近郊・市内線の時間制切符はTABACCHIなどで買える。空港行きや長距離はターミナルの切符売り場で。列車はもっぱらFirenze SMN駅から乗った。列車の切符は自動販売機でも買えるが、不慣れなので娘が一緒のとき以外はもっぱら窓口で買った。英語はある程度通じることが多い。混むことがあるのでなるべく前日までに買っておくほうがよい。乗り継ぎや種別の変更などで買い方がよく分からないときは、予め駅のツーリストお助け所(本当の名前は忘れたがインフォーメーションとは別にFirenze SMN駅の中にある。英語が通じる。)で根掘り葉掘り聞くといい。タクシーの流しはない。街を歩くと2、3箇所タクシー乗り場がある。ほかの所からなら、携帯か公衆電話で通りと番地を言って呼ぶと来てくれる。通りや番地は建物に書いてあるからすぐ分かる。尤もFirenzeは狭いので大抵は歩いて行けるから心配ない。地図は必携。

美術館; Uffiziは予約なしだと入れる保証がない。予約は3日ぐらい先まで詰まっていることが多い。電話で予約をいれて予約番号をもらうか、出かけていって予約券を買うのがいい。予約料は3エウロだった。ほかの美術館は少し待つ気ならまず問題なくはいれる。

教会; 教会が閉まっていると、観光客向けに開放している時間を書いた板が、分厚い扉の向こうに隠れてしまって、見えないことが多いのはなんとも不思議な仕組みだ。そうなると、朝夕のミサのありそうな時間帯に行って見てくるしかない。

Calcio Storico(古式サッカー); 6月の古式サッカーは、4チームで予選2試合と決勝戦の計3試合が3日に分けて行われる。切符はSMN駅の近くのLuigi Alamanni通り39にあるBox Officeで買えるが、予定日の数日前でないと売リ出さない。発売日は予め聞いても分からない。イタリア語が出来る方は主催者側にじかに電話できくほうが良いだろう。尤も当日券もあるようなので会場で買うほうが賢明かもしれない。何しろ暑いので熱射病対策(日除けと水)が必須。なお、便宜的に「古式サッカー」としたが、 Soccer は Association Football の略語なので原語のままのほうが良いと思う。ボールを蹴らずに持って走るところはラグビーに似ている。英語では Historical Football と称しているようだ。

教会のコンサート; Firenzeは美術の町として名を馳せているが、音楽の方面ではもう一つぱっとしない印象がある。しかし実際には各ホールのほかに、教会や美術館、博物館、広場など各所で様々なコンサートが頻繁に開かれている。中でもなんと毎日21時15分からコンサートをやっている教会「Chiesa S. Maria De' Ricci」(Corso通りにある。)がお奨めだ。この教会では昼間もよくオルガンが演奏されていて、通りがかりの人が入って聴いている。オンブラマイフなどの通俗的な曲目も多く、買い物の途中でよく聴かせて貰った。オルガン修復基金の箱に何がしか寄進するのも気分のよいものだ。そのときついでにコンサートの予定表を貰う。コンサートの切符は当日入るときに買えばいい。席が足らなくなっても補助椅子を出してくるから問題ない。

Rete Toscana Classica; 多分トスカーナ州唯一のクラシック専門FM局で、24時間クラシック音楽を流している。合間にはトスカーナ州のクラシック情報を頻繁に放送しており、どこで、いつ、どんなコンサートがあるのか詳しく分かる仕組みになっている。私のようなイタリア語の初心者には、ヒアリング練習にもなる。
追記:(インターネットでも聴く事ができます。上のリンクを開いて「ASCOLTA ONLINE」と書かれたリンクをクリックすると繋がります。WMA形式です。)

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