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ドイツ二人旅(その11)ドイツ博物館など

最終日ということで朝から荷物の整理をした後、街に出た。駅のあたりでしきりに地下の工事をやっているので、エスカレータやエレベーターが使いにくい。大きな荷物を持っての移動はかなり計画的でないとだめだと思ったので、下見するつもりだった。空港まではS1かS8で行けるがプラットホームは地下2階なので階段では無理と考えた。そこで探し当てたのが地下1階から地下2階に降りられるエレベーター。かなり回り道になるがやむをえない。地上から地下に入るエスカレーターは各所にあるが、上り下りの設定は時刻によって違うのでなるべく同じ時間帯に下見しようとした。方向音痴ではないつもりだがかなり脳の老化が進んでいてすんなりとは頭に入らない。何とか結論を出して、マリーエン広場まででかけた。

   

ヴィクトアーリエンマルクトのチーズ屋さんで塊を2つ買った。雨ではないが曇っていくらか寒い天気だ。

   

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マリーエン広場のRischartというカフェの上の階に上がった。ガラス張りの見晴らしのいい店だ。

   

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ケーキとコーヒーで休憩。席に乳母車を置いているお母さんがいたが、店を出るときにお客さんらしい男の人が手伝って屋外の階段を使って降りて行った。

   

ここから家内と別行動。ペーター教会を見学した後、ドイツ博物館に出かけた。切符の販売機の前で操作していると、若い男の人が「Isartorなら直ぐだから歩いていけばいいよ。」といった。礼を言って歩き出したが思い直して切符を買った。若い人には分からない疲労が来ていたのだ。結果は正解だった。Isartorの駅からは少し歩いて川を渡り、さらに川沿いに延々と歩いてやっと博物館の入り口に着いた。

   

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大きな古い船の横を通り抜けると動力機械のフロアーに出た。最初に目に留まった大きな機械は、説明書きによるとルドルフ・ディーゼルによる最初のディーゼル・エンジンだそうだ。

   

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こんな変わった展示物があった。牛が歩くと斜めになった大きな円形の木の台が回る仕組み。

   

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飛行機のフロアーに行くとMesserschmitt Me 163, 1944というロケットエンジンを使った最初で最後の戦闘機が天井からさがっていた。

   

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ユンカースのJu52という旅客機も展示されていた。1932年から1952年にかけて5000機以上生産されたそうだ。こういう形の飛行機は子供の時分に頭の上をすれすれに着陸していくのを見たものだった。(小生は当時現在の大阪空港の近くに住んでいた。)

   

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当時の機内の様子を写した写真が展示されていた。

   

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ホテルに帰って家内と合流。

   

家内はミュンヘン在住の古くからの娘のお友達に電話を掛けていた。ご主人の転勤で間もなく帰国のようだった。駅のカフェに出かけて夕食を済ませ、また荷造りの続き。

   

翌朝は8時ごろにチェックアウトし昨日の下見通りに歩いたら、なんとエスカレーターが昨日とは違って動いていない。うろうろしていてもしょうがないので、重い荷物を持ち上げて階段を一気に下りた。すぐにS1が来た。「Air Port」という表示を確かめて座った。すぐに郊外になり、日本の都会の郊外電車と似た雰囲気になった。Neufahrnで停車。ここでローカル線と空港行とが分かれるらしい。周りの人に確かめると「これでいい筈」という頼りない返事。ターミナル駅に着いたようだが、航空会社名のアナウンスを聞きもらしたのではっきりしない。とにかく降りてみたら大分先まで歩く羽目になった。

   

この頃はチェックインを機械でおこなうので慣れないと戸惑う。係りの女性にやってもらった。荷物は普通に預けるだけ。中に入り免税店で買い物をしてラーメンなどで昼食。

   

DSCN3415r(ゲートの案内表示の画面にもルートヴィッヒ2世が登場)

 

あとはシベリア上空を飛んで羽田に帰着した。ドイツより気温が高いのと昼間だからか人が少ない感じがした。   

 
 

「ドイツは広い」

   

決して大きな国ではないと思うが地方ごとの気風の違いは大きそうだ。日本の大学の第2外国語で習うドイツ語は標準語だけだし、日本にいて「ドイツ人は・・・」とか「ドイツ語は・・・」とか言っているので、自分の中でモノトーンのドイツのイメージが出来上がっている。現地に行っても、英語でのやり取りでは隔靴掻痒の感は免れない。日本との比較で言えばドイツの方が地方毎の独自性が保たれ、また大事にされているような気がする。日本が東京一極集中で異常なのかもしれない。そういえばドイツは「連邦共和国」だ。例を挙げればバイエルンはオーストリアとの関わりが深く言葉も共通だそうだ。観光業者などもミュンヘンからザルツブルクまでを一まとめにして営業している。バイエルンすなわちバヴァリアの人はプロイセンのゲルマンとは異質の民族で、ケルトの流れもくんでいると聞くといよいよ複雑な印象になる。フランスが実は多民族から成る国なのは昔エーグモルトへの旅で体験したが、今度はドイツも別の意味で一枚岩ではないことを感じ取った。ドイツ語には「正書法」というものがあってスイスやオーストリアを含めたドイツ語圏内の標準になっているらしいが、これも放置すればばらばらになるところを繋ぎ止めるのに必要なのだろう。ハイデルベルクの大学博物館で聞いた話では「ドイツ最古の大学はハイデルベルク大学だが、ドイツ語圏最古の大学はプラハのカレル大学だ。」という。つまりオーストリア・ハンガリー二重帝国時代のドイツ語圏という概念が今でも生きているのには少し驚いた。この概念に従えばドイツは巨大な国だ。

   

「中国語の氾濫」

   

ライン下りの船の上のアナウンスでは、ドイツ語と英語のほかは北京語だけだった。ほかのヨーロッパ語はなかった。ホテルのテレビでも中国語のチャンネルはあるが、日本語のチャンネルがあったのは一か所だけだった。観光客が話している言葉でも北京語や広東語などが目立っていた。彼らの話し声が大きいからかもしれない。中国語の圧力は世界中に浸透しているようだ。巨大な人口を擁しているだけに恐ろしいことだ。中国人観光客で英語を話せる人が少ないからだろうと考えてみたが、そのパワーが巨大であることには変わりがない。その土地の空気を吸いたくて訪れる人にとっては迷惑だと言わざるをえない。日本の農協さんの団体が大声で外国をのし歩いていた時代があったのを思い出した。

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コメント

tonaさま
バブル崩壊までの日本人の傲慢不遜振りと一脈通じるところがあるようにも思いますが、ただ広大な国土と膨大な人口を抱えた国だけにその「慣性質量」は日本の比ではなく、当分のあいだ彼らの勢いは止まらないでしょう。

投稿: evergrn | 2014.06.23 18:06

「ドイツは広い」を読んで驚きました。そうなのですね。
中国恐るべし・・いたるところで感じます。
とうとうパナマを超す運河「ニカラグア運河」が中国資本で造られるそうですね。だんだん米国が霞んできそうな。もう生きていないからいいのですが、わが日本人子孫はどうなっていくのかなどと思ってしまいます。

投稿: tona | 2014.06.23 16:53

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