昔のレコードの聴き方
昔のSP時代の録音を聴いた事のある人は、恐らく「大したこと無いなあ」というような印象をもたれたことがおありでしょう。私の知人でも昔の歌手より今の歌手の方がレベルが高いと信じている人がいます。私もそんな印象を持つことが度重なるので、何故なのか疑問に思ってきました。そこでいろいろ思い巡らして一応の仮説めいた結論に達しました。
まず演奏スタイルについてです。今日ではメディアや交通手段の発達で、演奏スタイルが世界中で似通ってくる傾向が強く、地域や個人の差が減っています。ところがSPの時代は世界各地に散らばった指導者によって異なる教育が行われ、相互の交流も今日のように日常的には行われていませんでした。メディアは技術的な制約が強く、また広く流通するような段階にはなっていませんでした。そのため演奏スタイルには人によって様々な違いがありました。今の人が聴くと違和感を持つ一つの原因になっていると思われます。
そうした中でも、やはりその時代の空気を反映する共通点も存在したようです。それは声楽や弦楽器の極端なポルタメントで代表されるような、甘さを強調した演奏が多いことで、ピアノの場合でもパデレフスキーのショパンのように甘美な演奏が好まれたようです。今の人にとってはまことに違和感があり、むしろ素人の演奏のような印象をうけるかもしれません。
更に最も肝心でありながら殆んど意識されていないのが録音条件です。LPレコード時代やCD時代の録音はライブでもセッションでも、テープ録音からミキシングを経てマスタリングされています。マクロフォンの性能も非常に良くなって、間接音を充分に採録できるようになり、しかもステレオ化によって臨場感が著しく向上しています。翻ってSP時代では「ラッパ吹き込み」録音の時代は言うに及ばず、電気録音になってからでもマイクロフォンの数も少なくその殆んどが直接音の収録に使われ、ホールトーンなどの間接音はまるで採れていません。
ここでちょっと参考までに付け加えますと、西洋音楽の標準的な唱法では声は体中から出ています。ですからマイクロフオンを置く場所によってどこから出ている声を採るのかが変わります。遠く離すとこの影響は減り、同時に間接音が入るようになります。近いマイクロフォンで採る場合は、マクロフォンの指向性や周波数特性を調整して、望ましい音が採れる様に細工します。どちらもマイクロフォンの性能が良くないとできないことです。
私は間接音の効果を確かめるために、ソプラノ・ソロの古いSP録音をオーディオ装置で再生しながら、別室の離れた所に置いたマイクロフォンで録音して比べてみました。その結果驚くほど臨場感が増し、声に艶が出ただけでなく音程の安定感まで向上しました。勿論モノーラルでの実験です。つまり間接音は音楽の演奏にとって非常に重要な要素だということが証明されたわけです。
昔の電気蓄音機は今のオーディオ装置と違って、レコードに入っている音に残響を付け加えて、自然な音楽にすることを重要な役割にしていたようです。電気式でない大型のラッパ式蓄音機を、ヨーロッパの石造りの大き目の部屋において聴く場合も、長い残響が付き音楽が再現されると考えられます。木造建築ではなかなかそうは行きません。ですから木造の家で今のオーディオ装置を使って、SPレコードやその復刻盤を聴くのは正しくないということになるでしょう。
単なる仮説にすぎませんので間違っているかも知れませんが、厳しいご批判を覚悟で記事にしてみました。ご意見を頂ければ大変うれしいです。
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